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【10年前に台湾で初めて日本語を教えた学生さんたちとオンライン懇親会しました】

下有中文



10年前、日本語教師としての初デビューが聯發科(メディアテック)の企業内授業でした。当時は台湾のことを全く知らず、中国語もできず、日本語の教え方も分からない状態で、コミュニケーションが全く取れない中での授業でした。初めての授業は悲惨でした。教材はぽろぽろ落とすわ、ペンも落とすわ、手元のメモは落とすわ、緊張するわで、きっと学生さんは「こんな先生で大丈夫か?」と不安になったことと思います。案の定、企業から学校に連絡が行って、授業の翌日、上司に呼び出されて「次は改善してください」と言われました。その一週間、どうしたらいいか必死に考え、「英語を使えばいいじゃん!」と思って英語を使ったら「英語は使わないでください」とまた上司からお叱りを受ける始末。でも、聯發科(メディアテック)の方はみな優秀。日本語の勉強を始めた当初は五十音でしたが、1年経つ頃には私のつたない中国語よりも上達が早く、簡単な会話は日本語だけでできるようになりました。本当に学生さんに救われました。私が台北の大学院に進学するため、学生さんたちとはお別れになってしまいましたが、院生時代もお呼びいただいて企業内で授業させていただいていました。今は同じ会社で働いている人もいれば、違う会社に移籍した人もいます。シリコンバレーに行った同い年のエンジニアもいれば、ツアーガイドの資格を取ってガイドの仕事をしている人もいます。みんなが揃うのはなかなか難しいですが、皆さんの声を聞いて、10年前に来た頃のことを思い出しました。今思い返しても初回の授業は本当に恥ずかしいですが、そんな私にも優しくしてくれた学生さんには感謝でいっぱいです。

 


昨天謝謝聯發科的日文班的同學們安排線上聚會!我對聯發科日文班有特別的回憶,他們是我10年前來台灣第一次上日文課學生。雖然當時無法跟學生公開,但是聯發科日文班是在台灣首次教書的班,我還記得第一次上課的樣子,我太緊張,教材、筆記、白板的筆一直掉到地板上。在公司餐廳第一次吃綠豆湯之後,胃不舒服想吐。當時學生應該覺得「這個老師真的可以嗎?」其實,隔天老闆叫我過來說「聯發科學生說你太緊張,你要改善一下。」當時,我完全不會中文,也不知道怎麼教日文。那一星期一直想怎麼解決,後來想到用英文溝通這個方法,但是老闆又說「不可以用英文...」但,果然是聯發科的工程師,大家很厲害,開始學一年後,全日文上課也沒問題的。第二年,因為我唸研究所的關係,搬到台北,但在研究所的時候,學生邀請我來上課,很感謝。現在一些學生還在同一家公司工作,一些在別的公司工作,也有在美國矽谷工作,有轉到導遊的學生也有,大家太厲害了。昨天跟大家一邊聊,一邊想起在聯發科上課的時光,很懷念,我很幸運認識很棒的學生們!

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